大山寛人「僕の父は母を殺した」

大山寛人君をご存知の方もいらっしゃると思います。
まだまだ知らない方も多くいらっしゃるかと思います。
まだ知らない方、一人でも多くの方に
彼の強さと勇気を知って欲しくブログを始めました。

12歳の大山寛人少年は、はじめての夜釣りに舞いあがる。
危険だからといつも反対する母が、酒に酔つてゆるしてくれたらしい。
なんたる幸運!
ほろ酔い加減の母は助手席でねむる。
実はすでに死んでいた。
父が浴槽にしづめて。

三月の広島市宇品の宵はこごえるが、少年は力いつぱいルアーをなげる。
救急車二台、レスキュー車三台、パトカー三台。
緋くそまる港。
うつぶせで波にゆられる母。
美人で、シャネルのにあう、自慢の母。

大山家は崩壊する。
父は不動産業をいとなみ裕福だつたが、自己破産し現場作業の職につく。
次第に家へよりつかなくなり、電気もガスもとまる。

父が逮捕されてから住むようになつた伯母の家で、
「保険金めあての殺人容疑者」として、テレビにうつる父をみた。
少年の心から、にくしみ以外の感情がきえる。
毎晩、夢で時間はあの夜へもどり、おのれの叫びで目をさます。

もちろん自殺をこころみる。
公園で風邪薬450錠のんだときは失敗。
退院後すぐ800錠を、すばやくとけるようホットコーヒーでながしこむが、まだ母のもとへゆけず。
人間の生存本能はすぐれもの、たやすく死ねないとさとる。

死刑判決がでたとき、はじめて少年は事件についてかんがえた。
人がうらやむほどの夫婦仲なのに、カネのため殺したなんて!
ふたりに愛がなかつたなんて!
理解するため手紙をかき、拘置所へ面会にゆく。
愛ゆえ殺したという辯明を、息子は信じる。
だれより不幸な父子だが、だれより真剣にむきあう父子でもある。

18歳でかいた陳述書から。

だけど、そんな悪いことをした人でも僕の父さんなんです。
世界に一人しかいない、大切な父さんなんです。
こんなことを言って、母さんが喜ぶはずがないし、
親戚のみんなの腹が立つのもわかっています。
だけど僕は、父さんを失いたくないんです。
今は、早く外に出てきて欲しい、また一緒に暮らしたい。
死刑にならないで欲しい。生きて欲しい。そう思います。

證人として出廷する意志をきき、父はいつた。

寛人、これだけはわかっていて欲しい。
父さんは、死刑を回避したいとは思っていなかった。
父さんは自分勝手な考えで、養父や母さんの命を奪った。
己の命をもってしても、罪を償いきれないと思うし、死刑は当然だと思う。
だけど、寛人が生きて欲しいと言ってくれるのなら、
父さんは生きて罪を償いたいと思う。

広島高等裁判所での第二審、息子の證言もむなしく、判決くつがえらず。
母方の親戚は拍手をおくつた。
2011年に刑が確定。
それでも死刑なる蛮行との戦いはおわらない。
絆をまもるため。
生きて、愛し、愛にこたえよと命ずる、本能にしたがうため。

大山さんのお父さんは死刑が確定しています。
大山さんは死刑を望んでいません。
ですが、それはいつか執行されてしまいます。
被害者遺族の望まない死刑。
その存在を広めたいと、
大山さんは実名で本を書き、講演をし、活動しています。

お近くの地域で彼の公演がある時は
一人でも多くの方に聞いていただきたいと思っております。